a我考网

 找回密码
 立即注册

QQ登录

只需一步,快速开始

扫一扫,访问微社区

查看: 96|回复: 1

[阅读指导] 夏目漱石《我是猫》(1)

[复制链接]
发表于 2012-8-16 12:20:13 | 显示全部楼层 |阅读模式
  吾辈(わがはい)は猫である。名前はまだ无い。7 f' B4 M( }1 Q7 h$ j4 f, w* n# n
  どこで生れたかとんと见当(けんとう)がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは记忆している。吾辈はここで始めて人间というものを见た。しかもあとで闻くとそれは书生という人间中で一番狞悪(どうあく)な种族であったそうだ。この书生というのは时々我々を捕(つかま)えて煮(に)て食うという话である。しかしその当时は何という考もなかったから别段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に载せられてスーと持ち上げられた时何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて书生の顔を见たのがいわゆる人间というものの见始(みはじめ)であろう。この时妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装饰されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後(ご)猫にもだいぶ逢(あ)ったがこんな片轮(かたわ)には一度も出会(でく)わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から时々ぷうぷうと烟(けむり)を吹く。どうも咽(む)せぽくて実に弱った。これが人间の饮む烟草(たばこ)というものである事はようやくこの顷知った。
( y+ c: S; t; s, T  この书生の掌の里(うち)でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で运転し始めた。书生が动くのか自分だけが动くのか分らないが无暗(むやみ)に眼が廻る。胸が悪くなる。到底(とうてい)助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは记忆しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
% s9 R. d$ O( h- {; n9 E4 H  ふと気が付いて见ると书生はいない。たくさんおった兄弟が一疋(ぴき)も见えぬ。肝心(かんじん)の母亲さえ姿を隠してしまった。その上今(いま)までの所とは违って无暗(むやみ)に明るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でも容子(ようす)がおかしいと、のそのそ这(は)い出して见ると非常に痛い。吾辈は藁(わら)の上から急に笹原の中へ弃てられたのである。! m1 M' B' _) d! @1 E
  ようやくの思いで笹原を这い出すと向うに大きな池がある。吾辈は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて见た。别にこれという分别(ふんべつ)も出ない。しばらくして泣いたら书生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと试みにやって见たが谁も来ない。そのうち池の上をさらさらと风が渡って日が暮れかかる。腹が非常に减って来た。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもよいから食物(くいもの)のある所まであるこうと决心をしてそろりそろりと池を左(ひだ)りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して无理やりに这(は)って行くとようやくの事で何となく人间臭い所へ出た。ここへ这入(はい)ったら、どうにかなると思って竹垣の崩(くず)れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思议なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾辈はついに路傍(ろぼう)に饿死(がし)したかも知れんのである。一树の荫とはよく云(い)ったものだ。この垣根の穴は今日(こんにち)に至るまで吾辈が隣家(となり)の三毛を访问する时の通路になっている。さて邸(やしき)へは忍び込んだもののこれから先どうして善(い)いか分らない。そのうちに暗くなる、腹は减る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の犹予(ゆうよ)が出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考えるとその时はすでに家の内に这入っておったのだ。ここで吾辈は彼(か)の书生以外の人间を再び见るべき机会に遭遇(そうぐう)したのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の书生より一层乱暴な方で吾辈を见るや否やいきなり颈筋(くびすじ)をつかんで表へ抛(ほう)り出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって运を天に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。吾辈は再びおさんの隙(すき)を见て台所へ这(は)い上(あが)った。すると间もなくまた投げ出された。吾辈は投げ出されては这い上り、这い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍缲り返したのを记忆している。その时におさんと云う者はつくづくいやになった。この间おさんの三马(さんま)を偸(ぬす)んでこの返报をしてやってから、やっと胸の痞(つかえ)が下りた。吾辈が最後につまみ出されようとしたときに、この家(うち)の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾辈をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿(やど)なしの小猫がいくら出しても出しても御台所(おだいどころ)へ上(あが)って来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛を捻(ひね)りながら吾辈の顔をしばらく眺(なが)めておったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ这入(はい)ってしまった。主人はあまり口を闻かぬ人と见えた。下女は口惜(くや)しそうに吾辈を台所へ抛(ほう)り出した。かくして吾辈はついにこの家(うち)を自分の住家(すみか)と极(き)める事にしたのである。& b; a1 R- |6 f. t4 c9 Z
  吾辈の主人は灭多(めった)に吾辈と顔を合せる事がない。职业は教师だそうだ。学校から帰ると终日书斎に这入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉强家だと思っている。当人も勉强家であるかのごとく见せている。しかし実际はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾辈は时々忍び足に彼の书斎を覗(のぞ)いて见るが、彼はよく昼寝(ひるね)をしている事がある。时々読みかけてある本の上に涎(よだれ)をたらしている。彼は胃弱で皮肤の色が淡黄色(たんこうしょく)を帯びて弾力のない不活溌(ふかっぱつ)な徴候をあらわしている。その癖に大饭を食う。大饭を食った後(あと)でタカジヤスターゼを饮む。饮んだ後で书物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜缲り返す日课である。吾辈は猫ながら时々考える事がある。教师というものは実に楽(らく)なものだ。人间と生れたら教师となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教师ほどつらいものはないそうで彼は友达が来る度(たび)に何とかかんとか不平を鸣らしている。2 x3 a1 o  X# g* E
  吾辈がこの家へ住み込んだ当时は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。どこへ行っても跳(は)ね付けられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、今日(こんにち)に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。吾辈は仕方がないから、出来得る限り吾辈を入れてくれた主人の傍(そば)にいる事をつとめた。朝主人が新闻を読むときは必ず彼の膝(ひざ)の上に乗る。彼が昼寝をするときは必ずその背中(せなか)に乗る。これはあながち主人が好きという訳ではないが别に构い手がなかったからやむを得んのである。その後いろいろ経験の上、朝は饭柜(めしびつ)の上、夜は炬燵(こたつ)の上、天気のよい昼は椽侧(えんがわ)へ寝る事とした。しかし一番心持の好いのは夜(よ)に入(い)ってここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事である。この小供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へ入(はい)って一间(ひとま)へ寝る。吾辈はいつでも彼等の中间に己(おの)れを容(い)るべき余地を见出(みいだ)してどうにか、こうにか割り込むのであるが、运悪く小供の一人が眼を醒(さ)ますが最後大変な事になる。小供は――ことに小さい方が质(たち)がわるい――猫が来た猫が来たといって夜中でも何でも大きな声で泣き出すのである。すると例の神経胃弱性の主人は必(かなら)ず眼をさまして次の部屋から飞び出してくる。现にせんだってなどは物指(ものさし)で尻ぺたをひどく叩(たた)かれた。
+ f$ T1 H4 y1 c% r- w" k5 x( ^  吾辈は人间と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我尽(わがまま)なものだと断言せざるを得ないようになった。ことに吾辈が时々同衾(どうきん)する小供のごときに至っては言语同断(ごんごどうだん)である。自分の胜手な时は人を逆さにしたり、头へ袋をかぶせたり、抛(ほう)り出したり、へっつい[#「へっつい」に傍点]の中へ押し込んだりする。しかも吾辈の方で少しでも手出しをしようものなら家内(かない)総がかりで追い廻して迫害を加える。この间もちょっと畳で爪を磨(と)いだら细君が非常に怒(おこ)ってそれから容易に座敷へ入(い)れない。台所の板の间で他(ひと)が颤(ふる)えていても一向(いっこう)平気なものである。吾辈の尊敬する筋向(すじむこう)の白君などは逢(あ)う度毎(たびごと)に人间ほど不人情なものはないと言っておらるる。白君は先日玉のような子猫を四疋産(う)まれたのである。ところがそこの家(うち)の书生が三日目にそいつを里の池へ持って行って四疋ながら弃てて来たそうだ。白君は涙を流してその一部始终を话した上、どうしても我等猫族(ねこぞく)が亲子の爱を完(まった)くして美しい家族的生活をするには人间と戦ってこれを剿灭(そうめつ)せねばならぬといわれた。一々もっともの议论と思う。また隣りの三毛(みけ)君などは人间が所有権という事を解していないといって大(おおい)に愤慨している。元来我々同族间では目刺(めざし)の头でも鰡(ぼら)の脐(へそ)でも一番先に见付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの规约を守らなければ腕力に诉えて善(よ)いくらいのものだ。しかるに彼等人间は毫(ごう)もこの観念がないと见えて我等が见付けた御驰走は必ず彼等のために掠夺(りゃくだつ)せらるるのである。彼等はその强力を頼んで正当に吾人が食い得べきものを夺(うば)ってすましている。白君は军人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。吾辈は教师の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。いくら人间だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の时节を待つがよかろう。9 O) B$ V0 J6 K; P+ i* Z/ ?1 y
  我尽(わがまま)で思い出したからちょっと吾辈の家の主人がこの我尽で失败した话をしよう。元来この主人は何といって人に胜(すぐ)れて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやってほととぎす[#「ほととぎす」に傍点]へ投书をしたり、新体诗を明星[#「明星」に傍点]へ出したり、间违いだらけの英文をかいたり、时によると弓に凝(こ)ったり、謡(うたい)を习ったり、またあるときはヴァイァ£ンなどをブーブー鸣らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。その癖やり出すと胃弱の癖にいやに热心だ。後架(こうか)の中で謡をうたって、近所で後架先生(こうかせんせい)と浑名(あだな)をつけられているにも関せず一向(いっこう)平気なもので、やはりこれは平(たいら)の宗盛(むねもり)にて候(そうろう)を缲返している。みんながそら宗盛だと吹き出すくらいである。この主人がどういう考になったものか吾辈の住み込んでから一月ばかり後(のち)のある月の月给日に、大きな包みを提(さ)げてあわただしく帰って来た。何を买って来たのかと思うと水彩絵具と毛笔とワットマンという纸で今日から謡や俳句をやめて絵をかく决心と见えた。果して翌日から当分の间というものは毎日毎日书斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。しかしそのかき上げたものを见ると何をかいたものやら谁にも监定がつかない。当人もあまり甘(うま)くないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人が来た时に下(しも)のような话をしているのを闻いた。# l. @3 c% _% G# |1 g( J% O( [6 r
  「どうも甘(うま)くかけないものだね。人のを见ると何でもないようだが自(みずか)ら笔をとって见ると今更(いまさら)のようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐(じゅっかい)である。なるほど诈(いつわ)りのない処だ。彼の友は金縁の眼镜越(めがねごし)に主人の顔を见ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで画(え)がかける訳のものではない。昔(むか)し以太利(イタリー)の大家アンドレア?デル?サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然その物を写せ。天に星辰(せいしん)あり。地に露华(ろか)あり。飞ぶに禽(とり)あり。走るに獣(けもの)あり。池に金鱼あり。枯木(こぼく)に寒鸦(かんあ)あり。自然はこれ一幅の大活画(だいかつが)なりと。どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」; E. D6 J' ~0 z! {
  「へえアンドレア?デル?サルトがそんな事をいった事があるかい。ちっとも知らなかった。なるほどこりゃもっともだ。実にその通りだ」と主人は无暗(むやみ)に感心している。金縁の里には嘲(あざ)けるような笑(わらい)が见えた。' P  ~- x' c1 X% y  p! e
  その翌日吾辈は例のごとく椽侧(えんがわ)に出て心持善く昼寝(ひるね)をしていたら、主人が例になく书斎から出て来て吾辈の後(うし)ろで何かしきりにやっている。ふと眼が覚(さ)めて何をしているかと一分(いちぶ)ばかり细目に眼をあけて见ると、彼は余念もなくアンドレア?デル?サルトを极(き)め込んでいる。吾辈はこの有様を见て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。彼は彼の友に揶揄(やゆ)せられたる结果としてまず手初めに吾辈を写生しつつあるのである。吾辈はすでに十分(じゅうぶん)寝た。欠伸(あくび)がしたくてたまらない。しかしせっかく主人が热心に笔を执(と)っているのを动いては気の毒だと思って、じっと辛棒(しんぼう)しておった。彼は今吾辈の轮廓をかき上げて顔のあたりを色彩(いろど)っている。吾辈は自白する。吾辈は猫として决して上乗の出来ではない。背といい毛并といい顔の造作といいあえて他の猫に胜(まさ)るとは决して思っておらん。しかしいくら不器量の吾辈でも、今吾辈の主人に描(えが)き出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。第一色が违う。吾辈は波斯産(ペルシャさん)の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆(うるし)のごとき斑入(ふい)りの皮肤を有している。これだけは谁が见ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今主人の彩色を见ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色(とびいろ)でもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。ただ一种の色であるというよりほかに评し方のない色である。その上不思议な事は眼がない。もっともこれは寝ているところを写生したのだから无理もないが眼らしい所さえ见えないから盲猫(めくら)だか寝ている猫だか判然しないのである。吾辈は心中ひそかにいくらアンドレア?デル?サルトでもこれではしようがないと思った。しかしその热心には感服せざるを得ない。なるべくなら动かずにおってやりたいと思ったが、さっきから小便が催うしている。身内(みうち)の筋肉はむずむずする。最早(もはや)一分も犹予(ゆうよ)が出来ぬ仕仪(しぎ)となったから、やむをえず失敬して両足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあと大(だい)なる欠伸をした。さてこうなって见ると、もうおとなしくしていても仕方がない。どうせ主人の予定は打(ぶ)ち壊(こ)わしたのだから、ついでに里へ行って用を足(た)そうと思ってのそのそ这い出した。すると主人は失望と怒りを掻(か)き交ぜたような声をして、座敷の中から「この马鹿野郎」と怒鸣(どな)った。この主人は人を骂(ののし)るときは必ず马鹿野郎というのが癖である。ほかに悪口の言いようを知らないのだから仕方がないが、今まで辛棒した人の気も知らないで、无暗(むやみ)に马鹿野郎呼(よば)わりは失敬だと思う。それも平生吾辈が彼の背中(せなか)へ乗る时に少しは好い顔でもするならこの漫骂(まんば)も甘んじて受けるが、こっちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立ったのを马鹿野郎とは酷(ひど)い。元来人间というものは自己の力量に慢じてみんな増长している。少し人间より强いものが出て来て窘(いじ)めてやらなくてはこの先どこまで増长するか分らない。
7 \4 h* r7 X9 y# W  我尽(わがまま)もこのくらいなら我慢するが吾辈は人间の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき报道を耳にした事がある。
, D- B& B3 {7 H$ O6 D6 O  吾辈の家の里に十坪ばかりの茶园(ちゃえん)がある。広くはないが潇洒(さっぱり)とした心持ち好く日の当(あた)る所だ。うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない时や、あまり退屈で腹加减のよくない折などは、吾辈はいつでもここへ出て浩然(こうぜん)の気を养うのが例である。ある小春の穏かな日の二时顷であったが、吾辈は昼饭後(ちゅうはんご)快よく一睡した後(のち)、运动かたがたこの茶园へと歩(ほ)を运ばした。茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西侧の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。彼は吾辈の近づくのも一向(いっこう)心付かざるごとく、また心付くも无顿着なるごとく、大きな鼾(いびき)をして长々と体を横(よこた)えて眠っている。他(ひと)の庭内に忍び入りたるものがかくまで平気に睡(ねむ)られるものかと、吾辈は窃(ひそ)かにその大胆なる度胸に惊かざるを得なかった。彼は纯粋の黒猫である。わずかに午(ご)を过ぎたる太阳は、透明なる光线を彼の皮肤の上に抛(な)げかけて、きらきらする柔毛(にこげ)の间より眼に见えぬ炎でも燃(も)え出(い)ずるように思われた。彼は猫中の大王とも云うべきほどの伟大なる体格を有している。吾辈の倍はたしかにある。吾辈は叹赏の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に伫立(ちょりつ)して余念もなく眺(なが)めていると、静かなる小春の风が、杉垣の上から出たる梧桐(ごとう)の枝を軽(かろ)く诱ってばらばらと二三枚の叶が枯菊の茂みに落ちた。大王はかっとその真丸(まんまる)の眼を开いた。今でも记忆している。その眼は人间の珍重する琥珀(こはく)というものよりも遥(はる)かに美しく辉いていた。彼は身动きもしない。双眸(そうぼう)の奥から射るごとき光を吾辈の矮小(わいしょう)なる额(ひたい)の上にあつめて、御めえ[#「御めえ」に傍点]は一体何だと云った。大王にしては少々言叶が卑(いや)しいと思ったが何しろその声の底に犬をも挫(ひ)しぐべき力が笼(こも)っているので吾辈は少なからず恐れを抱(いだ)いた。しかし挨拶(あいさつ)をしないと険呑(けんのん)だと思ったから「吾辈は猫である。名前はまだない」となるべく平気を装(よそお)って冷然と答えた。しかしこの时吾辈の心臓はたしかに平时よりも烈しく鼓动しておった。彼は大(おおい)に軽蔑(けいべつ)せる调子で「何、猫だ? 猫が闻いてあきれらあ。全(ぜん)てえどこに住んでるんだ」随分傍若无人(ぼうじゃくぶじん)である。「吾辈はここの教师の家(うち)にいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。いやに瘠(や)せてるじゃねえか」と大王だけに気焔(きえん)を吹きかける。言叶付から察するとどうも良家の猫とも思われない。しかしその膏切(あぶらぎ)って肥満しているところを见ると御驰走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい。吾辈は「そう云う君は一体谁だい」と闻かざるを得なかった。「己(お)れあ车屋の黒(くろ)よ」昂然(こうぜん)たるものだ。车屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。しかし车屋だけに强いばかりでちっとも教育がないからあまり谁も交际しない。同盟敬远主义の的(まと)になっている奴だ。吾辈は彼の名を闻いて少々尻こそばゆき感じを起すと同时に、一方では少々軽侮(けいぶ)の念も生じたのである。吾辈はまず彼がどのくらい无学であるかを试(ため)してみようと思って左(さ)の问答をして见た。* @8 L3 l( c. ~, N, J
  「一体车屋と教师とはどっちがえらいだろう」
2 H& J' T0 g2 {2 `5 J: Y  「车屋の方が强いに极(きま)っていらあな。御めえ[#「御めえ」に傍点]のうち[#「うち」に傍点]の主人を见ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」: x8 X3 N6 Y  j0 E! h# o. ?# [
  「君も车屋の猫だけに大分(だいぶ)强そうだ。车屋にいると御驰走(ごちそう)が食えると见えるね」
7 }1 D0 c6 O/ P; A' _# H$ g  「何(なあ)におれ[#「おれ」に傍点]なんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ。御めえ[#「御めえ」に傍点]なんかも茶畠(ちゃばたけ)ばかりぐるぐる廻っていねえで、ちっと己(おれ)の後(あと)へくっ付いて来て见ねえ。一と月とたたねえうちに见违えるように太れるぜ」
  x4 g( i/ H% d$ Z  t  「追ってそう愿う事にしよう。しかし家(うち)は教师の方が车屋より大きいのに住んでいるように思われる」4 L4 B$ \0 u+ R5 |6 s) W
  「箆棒(べらぼう)め、うちなんかいくら大きくたって腹の足(た)しになるもんか」
" ?1 p1 t1 g. H( ?  彼は大(おおい)に肝癪(かんしゃく)に障(さわ)った様子で、寒竹(かんちく)をそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに立ち去った。吾辈が车屋の黒と知己(ちき)になったのはこれからである。
; `1 Z! j- b0 R  その後(ご)吾辈は度々(たびたび)黒と邂逅(かいこう)する。邂逅する毎(ごと)に彼は车屋相当の気焔(きえん)を吐く。先に吾辈が耳にしたという不徳事件も実は黒から闻いたのである。
2 ~/ s4 z: C! N: t5 }7 [; a" t  或る日例のごとく吾辈と黒は暖かい茶畠(ちゃばたけ)の中で寝転(ねころ)びながらいろいろ雑谈をしていると、彼はいつもの自慢话(じまんばな)しをさも新しそうに缲り返したあとで、吾辈に向って下(しも)のごとく质问した。「御めえ[#「御めえ」に傍点]は今までに鼠を何匹とった事がある」智识は黒よりも余程発达しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底(とうてい)黒の比较にはならないと覚悟はしていたものの、この问に接したる时は、さすがに极(きま)りが善(よ)くはなかった。けれども事実は事実で诈(いつわ)る訳には行かないから、吾辈は「実はとろうとろうと思ってまだ捕(と)らない」と答えた。黒は彼の鼻の先からぴんと突张(つっぱ)っている长い髭(ひげ)をびりびりと震(ふる)わせて非常に笑った。元来黒は自慢をする丈(だけ)にどこか足りないところがあって、彼の気焔(きえん)を感心したように咽喉(のど)をころころ鸣らして谨聴していればはなはだ御(ぎょ)しやすい猫である。吾辈は彼と近付になってから直(すぐ)にこの呼吸を饮み込んだからこの场合にもなまじい己(おの)れを弁护してますます形势をわるくするのも愚(ぐ)である、いっその事彼に自分の手柄话をしゃべらして御茶を浊すに若(し)くはないと思案を定(さだ)めた。そこでおとなしく「君などは年が年であるから大分(だいぶん)とったろう」とそそのかして见た。果然彼は墙壁(しょうへき)の欠所(けっしょ)に呐喊(とっかん)して来た。「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった。彼はなお语をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたち[#「いたち」に傍点]ってえ奴は手に合わねえ。一度いたち[#「いたち」に傍点]に向って酷(ひど)い目に逢(あ)った」「へえなるほど」と相槌(あいづち)を打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて云う。「去年の大扫除の时だ。うちの亭主が石灰(いしばい)の袋を持って椽(えん)の下へ这(は)い込んだら御めえ[#「御めえ」に傍点]大きないたち[#「いたち」に傍点]の野郎が面喰(めんくら)って飞び出したと思いねえ」「ふん」と感心して见せる。「いたち[#「いたち」に傍点]ってけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。こん畜生(ちきしょう)って気で追っかけてとうとう泥沟(どぶ)の中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采(かっさい)してやる。「ところが御めえ[#「御めえ」に傍点]いざってえ段になると奴め最後(さいご)っ屁(ぺ)をこきゃがった。臭(くせ)えの臭くねえのってそれからってえものはいたち[#「いたち」に傍点]を见ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気を今(いま)なお感ずるごとく前足を扬げて鼻の头を二三遍なで廻わした。吾辈も少々気の毒な感じがする。ちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君に睨(にら)まれては百年目だろう。君はあまり鼠を捕(と)るのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」黒の御机嫌をとるためのこの质问は不思议にも反対の结果を呈出(ていしゅつ)した。彼は喟然(きぜん)として大息(たいそく)していう。「考(かん)げえるとつまらねえ。いくら稼いで鼠をとったって――一てえ人间ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる。交番じゃ谁が捕(と)ったか分らねえからそのたんび[#「たんび」に傍点]に五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんか己(おれ)の御荫でもう壱円五十銭くらい储(もう)けていやがる癖に、碌(ろく)なものを食わせた事もありゃしねえ。おい人间てものあ体(てい)の善(い)い泥棒だぜ」さすが无学の黒もこのくらいの理窟(りくつ)はわかると见えてすこぶる怒(おこ)った容子(ようす)で背中の毛を逆立(さかだ)てている。吾辈は少々気味が悪くなったから善い加减にその场を胡魔化(ごまか)して家(うち)へ帰った。この时から吾辈は决して鼠をとるまいと决心した。しかし黒の子分になって鼠以外の御驰走を猟(あさ)ってあるく事もしなかった。御驰走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。教师の家(うち)にいると猫も教师のような性质になると见える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。
, v9 U/ Q( m+ _( n6 I' }3 \4 r7 J  教师といえば吾辈の主人も近顷に至っては到底(とうてい)水彩画において望(のぞみ)のない事を悟ったものと见えて十二月一日の日记にこんな事をかきつけた。
- k$ c) {* `/ P0 V: |/ ~  [#ここより引用文、本文より2字下げ]0 m! |+ j: R1 u( J2 U
  ○○と云う人に今日の会で始めて出逢(であ)った。あの人は大分(だいぶ)放荡(ほうとう)をした人だと云うがなるほど通人(つうじん)らしい风采(ふうさい)をしている。こう云う质(たち)の人は女に好かれるものだから○○が放荡をしたと云うよりも放荡をするべく余仪なくせられたと云うのが适当であろう。あの人の妻君は芸者だそうだ、羡(うらや)ましい事である。元来放荡家を悪くいう人の大部分は放荡をする资格のないものが多い。また放荡家をもって自任する连中のうちにも、放荡する资格のないものが多い。これらは余仪なくされないのに无理に进んでやるのである。あたかも吾辈の水彩画に於けるがごときもので到底卒业する気づかいはない。しかるにも関せず、自分だけは通人だと思って済(すま)している。料理屋の酒を饮んだり待合へ这入(はい)るから通人となり得るという论が立つなら、吾辈も一廉(ひとかど)の水彩画家になり得る理窟(りくつ)だ。吾辈の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧(ぐまい)なる通人よりも山出しの大野暮(おおやぼ)の方が遥(はる)かに上等だ。" u4 K( `5 K5 c7 f: h
  [#引用文、ここまで]
回复

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2012-8-16 12:20:14 | 显示全部楼层

夏目漱石《我是猫》(1)

  通人论(つうじんろん)はちょっと首肯(しゅこう)しかねる。また芸者の妻君を羡しいなどというところは教师としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批评眼だけはたしかなものだ。主人はかくのごとく自知(じち)の明(めい)あるにも関せずその自惚心(うぬぼれしん)はなかなか抜けない。中二日(なかふつか)置いて十二月四日の日记にこんな事を书いている。
8 w6 H3 n, I3 u3 M  [#ここより引用文、本文より2字下げ]' b/ a7 ^. W3 Z2 k9 ~6 M8 z
  昨夜(ゆうべ)は仆が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらに抛(ほう)って置いたのを谁かが立派な额にして栏间(らんま)に悬(か)けてくれた梦を见た。さて额になったところを见ると我ながら急に上手になった。非常に嬉しい。これなら立派なものだと独(ひと)りで眺め暮らしていると、夜が明けて眼が覚(さ)めてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明了になってしまった。! z$ o/ O2 b# J
  [#引用文、ここまで]$ `. l% w* T" P. w6 p; P! L2 m( \9 z
  主人は梦の里(うち)まで水彩画の未练を背负(しょ)ってあるいていると见える。これでは水彩画家は无论夫子(ふうし)の所谓(いわゆる)通人にもなれない质(たち)だ。
% g. l# Z' b1 ~( R3 `+ T: f  主人が水彩画を梦に见た翌日例の金縁眼镜(めがね)の美学者が久し振りで主人を访问した。彼は座につくと劈头(へきとう)第一に「画(え)はどうかね」と口を切った。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生を力(つと)めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精细な変化などがよく分るようだ。西洋では昔(むか)しから写生を主张した结果今日(こんにち)のように発达したものと思われる。さすがアンドレア?デル?サルトだ」と日记の事はおくび[#「おくび」に傍点]にも出さないで、またアンドレア?デル?サルトに感心する。美学者は笑いながら「実は君、あれは出鳕目(でたらめ)だよ」と头を掻(か)く。「何が」と主人はまだ※(いつ)わられた事に気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア?デル?サルトさ。あれは仆のちょっと捏造(ねつぞう)した话だ。君がそんなに真面目(まじめ)に信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦の体(てい)である。吾辈は椽侧でこの対话を闻いて彼の今日の日记にはいかなる事が记(しる)さるるであろうかと予(あらかじ)め想像せざるを得なかった。この美学者はこんな好(いい)加减な事を吹き散らして人を担(かつ)ぐのを唯一の楽(たのしみ)にしている男である。彼はアンドレア?デル?サルト事件が主人の情线(じょうせん)にいかなる响を伝えたかを毫(ごう)も顾虑せざるもののごとく得意になって下(しも)のような事を饶舌(しゃべ)った。「いや时々冗谈(じょうだん)を言うと人が真(ま)に受けるので大(おおい)に滑稽的(こっけいてき)美感を挑拨(ちょうはつ)するのは面白い。せんだってある学生にニコラス?ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大着述なる仏国革命史を仏语で书くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまた马鹿に记忆の善い男で、日本文学会の演説会で真面目に仆の话した通りを缲り返したのは滑稽であった。ところがその时の傍聴者は约百名ばかりであったが、皆热心にそれを倾聴しておった。それからまだ面白い话がある。せんだって或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セァ≌ァーノの话(はな)しが出たから仆はあれは歴史小説の中(うち)で白眉(はくび)である。ことに女主人公が死ぬところは鬼気(きき)人を袭うようだと评したら、仆の向うに坐っている知らんと云った事のない先生が、そうそうあすこは実に名文だといった。それで仆はこの男もやはり仆同様この小説を読んでおらないという事を知った」神経胃弱性の主人は眼を丸くして问いかけた。「そんな出鳕目(でたらめ)をいってもし相手が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人を欺(あざむ)くのは差支(さしつかえ)ない、ただ化(ばけ)の皮(かわ)があらわれた时は困るじゃないかと感じたもののごとくである。美学者は少しも动じない。「なにその时(とき)ゃ别の本と间违えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っている。この美学者は金縁の眼镜は挂けているがその性质が车屋の黒に似たところがある。主人は黙って日の出を轮に吹いて吾辈にはそんな勇気はないと云わんばかりの顔をしている。美学者はそれだから画(え)をかいても駄目だという目付で「しかし冗谈(じょうだん)は冗谈だが画というものは実际むずかしいものだよ、レァ∈ルド?ダ?ヴィンチは门下生に寺院の壁のしみ[#「しみ」に傍点]を写せと教えた事があるそうだ。なるほど雪隠(せついん)などに这入(はい)って雨の漏る壁を余念なく眺めていると、なかなかうまい模様画が自然に出来ているぜ。君注意して写生して见给えきっと面白いものが出来るから」「また欺(だま)すのだろう」「いえこれだけはたしかだよ。実际奇警な语じゃないか、ダ?ヴィンチでもいいそうな事だあね」「なるほど奇警には相违ないな」と主人は半分降参をした。しかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ。
9 r5 o4 x1 z5 x6 h% Z1 B  车屋の黒はその後(ご)跛(びっこ)になった。彼の光沢ある毛は渐々(だんだん)色が褪(さ)めて抜けて来る。吾辈が琥珀(こはく)よりも美しいと评した彼の眼には眼脂(めやに)が一杯たまっている。ことに着るしく吾辈の注意を惹(ひ)いたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である。吾辈が例の茶园(ちゃえん)で彼に逢った最後の日、どうだと云って寻ねたら「いたち[#「いたち」に傍点]の最後屁(さいごっぺ)と肴屋(さかなや)の天秤棒(てんびんぼう)には惩々(こりごり)だ」といった。! A" P. |4 h. }: i2 z
  赤松の间に二三段の红(こう)を缀った红叶(こうよう)は昔(むか)しの梦のごとく散ってつくばい[#「つくばい」に傍点]に近く代る代る花弁(はなびら)をこぼした红白(こうはく)の山茶花(さざんか)も残りなく落ち尽した。三间半の南向の椽侧に冬の日脚が早く倾いて木枯(こがらし)の吹かない日はほとんど稀(まれ)になってから吾辈の昼寝の时间も狭(せば)められたような気がする。+ P. S$ v$ N4 t7 h. n
  主人は毎日学校へ行く。帰ると书斎へ立て笼(こも)る。人が来ると、教师が厌(いや)だ厌だという。水彩画も灭多にかかない。タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった。小供は感心に休まないで幼稚园へかよう。帰ると唱歌を歌って、球(まり)をついて、时々吾辈を尻尾(しっぽ)でぶら下げる。
2 R. B7 |4 N1 f2 h1 R  吾辈は御驰走(ごちそう)も食わないから别段肥(ふと)りもしないが、まずまず健康で跛(びっこ)にもならずにその日その日を暮している。鼠は决して取らない。おさんは未(いま)だに嫌(きら)いである。名前はまだつけてくれないが、欲をいっても际限がないから生涯(しょうがい)この教师の家(うち)で无名の猫で终るつもりだ。
回复 支持 反对

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 立即注册

本版积分规则

Archiver|手机版|小黑屋|Woexam.Com ( 湘ICP备18023104号 )

GMT+8, 2024-10-5 02:29 , Processed in 0.185197 second(s), 24 queries .

Powered by Discuz! X3.4 Licensed

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表