ある书物を読んでいて、それはかなり长いもので、これを読み终わるのはいったいいつのことだろうと思う。
# Q) t/ ~# m: ]( _2 p けっして早く読んでしまわなくてはいけない本ではなくて、一年かかろうが二年かかろうが、谁でもせかされることはない。休みたくなれば、途中でいくらでも休んで、また続きを読めばいい。* B! @8 V6 {# }% a" H" n- \" Z
来る日も来る日も、同じ地平线が见えている。まあ、そういった気持ちがする。* i- P5 r1 g4 m
それでも、読むのをやめてしまわないかぎりは、少しずつ先へ进んでいく。そして、いつになったらそこまで来るだろうと思っていたおしまいのページに、とうとう、ある日、きてしまっていて、感慨无量といった気持ちになる。
9 m! ~! @7 L3 ]8 D5 T* t% q もうそこから先は、开くべきページは一枚も残っていないのである。. U6 f6 I' I, x0 x
私はまだ実际にいつ终りになるかわからないような大旅行はしたことはない。しかし、たぶんそれは、长い本を読みだした时の感じに似ているだろうという気がする。
# T# A8 ~) g2 i3 B* R3 D: P( e 长い短いということは别にして、好きな书物のことを考えると、私は縁があってその本をてにしたのだというふうに考える。一生のうちにほんとうに好きになる本は、そう多くはないのかもしれない。多くなくてもいいのだ。
1 {! f A$ P; b: S* ^8 b9 C- [ 私たちは、自分と縁のあったと思う本を、これだけは手元から话さずに置こうと思って、何十年もなくさずに持っている。しかし、どうしてあの本を古本屋に持って行ったんだろう、バカなことをしたものだ、と昔のことを悔やむこともある。
( a" I8 t( M: N w3 d T, P 私たちは、本ひとつに限っても、自分の爱着のあるものをいつまでも手元に留めておくことはできない。本も生き物のようにどこかへ行ってしまったり、隠れてしまったりする。- u5 g) x* T, m$ J2 f3 Y4 X
毎日、同じような生活をしていると、きょうはきのうとだいたいのところでかわりはなかったように、あしたもきょうとだいたいのところで変わりはないと言うふうに考える。7 l K5 @" A: _! t C( x: l
それでも、何かしら、思いがけないいいことがあるかも知れない。
; }, U& Q8 w" N) y ちょっとしたことでも、いいことがあるとうれしい。なんといってもそれは思いがけないことであるから、不意打ちのよろこびがある。それは、いつみずみずしい。
% V" x, w- D6 y: G$ `7 { 先のことがわからないで、みんな生きている。わからないからよいので生きていくことができる。明日、ちょっとしたいいことがあるか、どうにもかわしようのない灾难が降りかかるか、それは谁にもわからない。 |