▲日本外交の概要〔外交问题〕9 S" ]0 q2 T. V! S! ~+ W. l
◆総合外交政策局〔外交问题〕
$ n3 @! P/ j# r! g* f2 u2 Z* H% D3 P 一九九三(平成五)年八月一日から外务省に総合政策局が発足した。湾岸戦争で一三〇亿ドルという巨额な财政负担をしながら、他国から评価されず、汗も血も流さず、カネですます国との印象を世界に与えてしまった反省から、第三次行革审より外交の実态を见直すべきだとの提言を受け、従来の国连局を発展的に改组して新しい局を设けた。冷戦後の国际情势に対応するため、安全保障、军备管理など外务省のタテ割り组织を横断する形で、事态に机敏に対応することを目的にしている。7 m; \$ h, y5 g2 ] R8 {" `
◆外交青书〔外交问题〕
, i9 r5 Z, ^5 ^, J9 J( L 外务省编集になる白书の题名であるが、一九九二(平成四)年度版まで青表纸が使われていたので「青书」とよばれる。一年间ごとに日本外交の当面する问题につきその特质と処理の経纬を述べているが、九九年度版は「外交青书一九九九」に「新たな世纪に向けたリーダーシップのある外交の展开」と题する见出しがつけられた。総括として九八年の国际社会と日本外交、分野ごとにみた国际情势と日米外交、主要地域情势などを説明した第一分册、各国の内政、外交と日本との関系を述べた第二分册に分かれている。创刊は五七(昭和三二)年九月。通常は毎年七月ごろ刊行される。
$ J$ u( j7 R$ a. M' V; K/ w! E ◆コスト?シェアリング(费用分担)(cost sharing)〔外交问题〕9 H! \& _! `+ Z( p+ G7 R+ P2 b
もともとはバードン?シェアリング(同盟国间の责任分担)とよばれ、在日米军の责任を日本がどれだけ肩がわりするかが问题になっていた。ところが东西関系の大きな変化を反映し、アメリカが在欧米军の一部撤兵を开始すると同时に、アジアでは日本、韩国、フィリピンの驻留米军を五年间で一〇%削减する方针を打ち出し、とくにフィリピンからは一九九二年に完全撤退した。九〇(平成二)年二月に访日したD?チェイニー国防长官は、在日米军の驻留経费の大幅负担増を日本侧に要求し、それをコスト?シェアリングと言い换えた。九八年度予算では歳出削减の基本方针に沿って驻留経费の削减を日本政府は打ち出し、アメリカ侧はこれに反発した。" D" I9 b6 K, T h: {1 R; ~3 _0 G
◆国际紧急援助队〔外交问题〕
& a! \7 Z* Q( E. g5 A+ L8 G z メキシコ大地震やコロンビア火山喷火など国际的自然灾害における救急援助でもみられたように、わが国の援助は金銭面に倾きがちで、诸外国のそれに比较して、疑问が呈されてきた。外务省の提唱で、金銭面だけでなく人命救助や复旧作业などの面でも机敏な援助活动ができる「国际紧急援助队」の设置が一九八七(昭和六二)年八月国会で可决、成立した(国际紧急援助队法)。これは、灾害复旧に必要な救助、建设、医疗などのために医师、看护妇、レスキュー部队、地震?火山?石油コンビナート灾害の専门家、外国语にたん能な者など各分野でのプロの人材を登録しておき、紧急时に速やかに海外派遣できる体制である。自治、建设、国土、厚生などの一六の関系省庁との协议が必要であり、自卫队は含まれず、将来必要と判断された时点で検讨されることになっていたが、九二(平成四)年六月の改正で参加できるようになった。 |