ことにこっけいなのは、誰の所へ来たんだか忘れたが、宛名に「しようせんじ、のだやすつてん」というやつがあって、誰も漢字に翻訳することができなかった。それでも結局「修善寺野田屋支店」だろうということになったが、こんな和文漢訳の問題が出ればどこの学校の受験者だって落第するにきまっている。( q( `$ G1 l; y( j( d& e
通信部は、日暮れ近くなって閉じた。あのいつもの銀行員が来て月謝を取扱う小さな窓のほうでも、上原君や岩佐君やその他の卒業生諸君が、執筆の労をとってくださった。そうしてこっちも、かれこれ同じ時刻に窓を閉じた。僕たちの帰った時には、あたりがもう薄暗かった。二階の窓からは、淡い火影がさして、白楊(はくよう)の枝から枝にかけてあった洗たく物も、もうすっかり取りこまれていた。: [4 u- Q4 C/ s3 `5 ?
通信部はそれからも、つづいて開いた。前記の諸君を除いて、平塚君、国富君、砂岡君、清水君、依田君、七条君、下村君、その他今は僕が忘れてしまって、ここに表彰する光栄を失したのを悲しむ。幾多の諸君が、熱心に執筆の労をとってくださったのは、特に付記して、前後六百枚のはがきの、このために費されたのが、けっして偶然でないということを表したいと思う。$ a2 d, L P3 p; v6 O" T9 Q
その翌々日の午後、義捐金(ぎえんきん)の一部をさいてあがなった、四百余の猿股(さるまた)を罹災民諸君に寄贈することになった。皆で、猿股の一ダースを入れた箱を一つずつ持って、部屋部屋を回って歩く。ジプシーのような、脊の低い区役所の吏員が、帳面と引合わせて、一人一人罹災民諸君を呼び出すのを、僕たちが一枚一枚、猿股を渡すという手はずであった。残念なことに、どの部屋で、どんな人がどんなことをしていたか忘れてしまったがただ一つ覚えているのは、五年の丙組の教室へはいった時だったと思う。薄暗いすみっこに、色のさめた、黒い太い縞(しま)のある、青毛布が丸くなっていた。始めは、ただ毛布が丸めてあるんだと思ったが、例のジプシーが名まえを呼びはじめると、その毛布がむくむくと動いて、中から灰色の長い髯(ひげ)が出た。それから、眼の濁った赭(あか)ら面の老人が出た。そうして最後に、灰色の長く伸びた髪の毛が出た。しばらく僕たちを見ていたがまた眼をつぶった。かたわらへよると酒の香がする。なんとなく、あの毛布の下に、ウォッカの罎(びん)でも隠してありそうな気がした。
# L0 G( b% u, N2 W y/ f 二階の部屋をまわった平塚君の話では、五年の甲組の教室に狂女がいて、じっとバケツの水を見つめていたそうだ。あの雨じみのある鼠色の壁によりかかって、結び髪の女が、すりきれた毛繻子(けじゅす)の帯の間に手を入れながら、うつむいてバケツの水を見ている姿を想像したら、やはり小説めいた感じがした。. K$ T8 f2 r) d" D
猿股を配ってしまった時、前田侯から大きな梅鉢(うめばち)の紋のある長持へ入れた寄付品がたくさん来た。落雁(らくがん)かと思ったら、シャツと腹巻なのだそうである。前田侯だけに、やることが大きいなあと思う。/ }- d& s/ u% A! h% A' \; i0 v, Z
罹災民諸君が何日ぶりかで、諸君の家へ帰られる日の午前に、僕たちは、僕たちの集めた義捐金の残額を投じて、諸君のために福引を行うことにした。
2 q, q' d1 g m( E+ k' g0 T& y7 J 景品はその前夜に註文(ちゅうもん)した。当日の朝、僕が学校の事務室へ行った時には、もう僕たちの連中が、大ぜい集って、盛んに籤(くじ)をこしらえていた。うまく紙撚(こより)をよれる人が少いので、広瀬先生や正木先生が、手伝ってくださる。僕たちの中では、砂岡君がうまく撚(よ)る。僕は「へえ、器用だね」と、感心して見ていた。もちろん僕には撚れない。. A" K0 k/ h$ W2 _" y, j
事務室の中には、いろんな品物がうずたかく積んであった。前の晩、これを買う時に小野君が、口をきわめて、その効用を保証した亀(かめ)の子だわしもある。味噌漉(みそこし)の代理が勤まるというなんとか笊(ざる)もある。羊羹(ようかん)のミイラのような洗たくせっけんもある。草ぼうきもあれば杓子(しゃくし)もある。下駄(げた)もあれば庖刀(ほうとう)もある。赤いべべを着たお人形さんや、ロッペン島のあざらしのような顔をした土細工の犬やいろんなおもちゃもあったが、その中に、五、六本、ブリキの銀笛があったのは蓋(けだ)し、原君の推奨によって買ったものらしい。景品の説明は、いいかげんにしてやめるが、もう一つ書きたいのは、黄色い、能代塗(のしろぬり)の箸(はし)である。それが何百膳(ぜん)だかこてこてある。あとで何膳ずつかに分ける段になると、その漆臭いにおいが、いつまでも手に残ったので閉口した。ちょっと嗅(か)いでも胸が悪くなる。福引の景品に、能代塗の箸は、孫子の代まで禁物だと、しみじみ悟ったのはこの時である。8 ^% s9 E+ p: s& z3 }
籤ができあがると、原君と依田君とが、各室をまわる労をとった。少したつと、もう大ぜい籤を持った人々がやってくる。事務室の向かって右の入口から入れて、ふだんはしめ切ってある、右のとびらをあけて出すことにした。景品はほうきと目笊とせっけんで一組、たわしと何とか笊と杓子で一組、下駄に箸が一膳で一組という割合で、いちばん割の悪いのは、能代塗の臭い箸が一膳で一組である。こいつだけは、僕なら、いくら籤に当っても、ご免をこうむろうと思う。 |