日本人の精神生活, }; i6 C+ d$ b- Q, n0 b; A
単调で荒凉な砂漠(さばく)の国には一神教が生まれると言った人があった。日本のような多彩にして変幻きわまりなき自然をもつ国で八百万(やおよろず)の神々が生まれ崇拝され続けて来たのは当然のことであろう。山も川も木も一つ一つが神であり人でもあるのである。それをあがめそれに従うことによってのみ生活生命が保证されるからである。また一方地形の影响で住民の定住性土着性が决定された结果は至るところの集落に镇守の社を建てさせた。これも日本の特色である。! w) k/ ~, k/ c* S6 A- H1 i4 V
仏教が远い土地から移植されてそれが土着し発育し持続したのはやはりその教义の含有するいろいろの因子が日本の风土に适応したためでなければなるまい。思うに仏教の根底にある无常観が日本人のおのずからな自然観と相调和するところのあるのもその一つの因子ではないかと思うのである。鸭长明(かものちょうめい)の方丈记を引用するまでもなく地震や风水の灾祸の频繁(ひんぱん)でしかも全く予测し难い国土に住むものにとっては天然の无常は远い远い祖先からの遗伝的记忆となって五臓六腑(ごぞうろっぷ)にしみ渡っているからである。
! z) t9 g% t8 b7 o) X' u 日本において科学の発达がおくれた理由はいろいろあるであろうが、一つにはやはり日本人の以上述べきたったような自然観の特异性に连関しているのではないかと思われる。雨のない砂漠(さばく)の国では天文学は発达しやすいが多雨の国ではそれが妨げられたということも考えられる。前にも述べたように自然の恵みが乏しい代わりに自然の暴威のゆるやかな国では自然を制御しようとする欲望が起こりやすいということも考えられる。全く予测し难い地震台风に鞭打(むちう)たれつづけている日本人はそれら现象の原因を探究するよりも、それらの灾害を軽减し回避する具体的方策の研究にその知恵を倾けたもののように思われる。おそらく日本の自然は西洋流の分析的科学の生まれるためにはあまりに多彩であまりに无常であったかもしれないのである。0 u" l% t9 Q1 B9 }( }8 U
现在の意味での科学は存在しなかったとしても祖先から日本人の日常における自然との交渉は今の科学の目から见ても非常に合理的なものであるという事は、たとえば日本人の衣食住について前条で例示したようなものである。その合理性を「発见」し「证明」する役目が将来の科学者に残された仕事の分野ではないかという気もするのである。' |1 W/ [9 \: R( Q# }; k
ともかくも日本で分析科学が発达しなかったのはやはり环境の支配によるものであって、日本人の头脳の低级なためではないということはたしかであろうと思う。その证拠には日本古来の知恵を无视した科学が大耻をかいた例は数えれば数え切れないほどあるのである。. }3 R$ Z# O& F* L8 D1 s. i" \
日本人の精神生活の诸现象の中で、何よりも明了(めいりょう)に、日本の自然、日本人の自然観、あるいは日本の自然と人とを引きくるめた一つの全机的な有机体の诸现象を要约し、またそれを支配する诸方则を记録したと见られるものは日本の文学や诸芸术であろう。5 W- v% x' ^& n2 R; c8 i
记纪を文学と言っては当たらないかもしれないが、たとえばその中に现われた神话中に暗示された地球物理的现象の特异性についてはかつて述べたことがあるから略する。8 S2 _/ g# }' l' i: I
おとぎ话や伝説口碑のようなものでも日本の自然とその対人交渉の特异性を暗示しないものはないようである。源氏物语や枕草子(まくらのそうし)などをひもといてみてもその中には「日本」のあらゆる相貌(そうぼう)を指摘する际に参考すべき一种の目録书きが包蔵されている事を认めることができるであろう。
" O, Z3 l% G5 u! A3 \8 s% _( d. h こういう点で何よりも最も代表的なものは短歌と俳句であろう。この二つの短诗形の中に盛られたものは、多くの场合において、日本の自然と日本人との包含によって生じた全机的有机体日本が最も雄弁にそれ自身を物语る声のレコードとして见ることのできるものである。これらの诗の中に现われた自然は科学者の取り扱うような、人间から切り离した自然とは全く趣を异にしたものである。また単に、普通にいわゆる背景として他所から借りて来て添加したものでもない。人は自然に同化し、自然は人间に消化され、人と自然が完全な全机的な有机体として生き动くときにおのずから発する楽音のようなものであると言ってもはなはだしい夸张ではあるまいと思われるのである。西洋人の诗にも汉诗にも、そうした倾向のものがいくらかはあるかもしれないが、浅学な私の知る范囲内では、外国の诗には自我と外界との対立がいつもあまりに明白に立っており、そこから理屈(フィロソフィー)が生まれたり教训(モラール)が组み立てられたりする。万叶の短歌や蕉门(しょうもん)の俳句におけるがごとく人と自然との浑然(こんぜん)として融合したものを见いだすことは私にははなはだ困难なように思われるのである。
1 u" ~9 p8 w. d5 @8 l 短歌俳谐(はいかい)に现われる自然の风物とそれに付随する日本人の感覚との最も手近な目録索引としては俳谐歳时记(はいかいさいじき)がある。俳句の季题と称するものは俳谐の父なる连歌を通して歴史的にその来歴を追究して行くと枕草子や源氏物语から万叶の昔にまでもさかのぼることができるものが多数にあるようである。私のいわゆる全机的世界の诸断面の具象性を决定するに必要な座标としての时の指定と同时にまた空间の标示として役立つものがこのいわゆる季题であると思われる。もちろん短歌の中には无季题のものも决して少なくはないのであるが、一首一首として见ないで、一人の作者の制作全体を通じて一つの连作として见るときには、やはり日本人特有の季题感が至るところに横溢(おういつ)していることが认められるであろうと思われる。 |