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[阅读指导] 日本人の自然観(二)

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发表于 2012-8-16 12:20:13 | 显示全部楼层 |阅读模式
  日本の自然
5 k: H- N: v0 V# j5 H4 }) A" p  日本における自然界の特异性の种々相の根底には地球上における日本国の独自な位置というものが基础的原理となって存在しそれがすべてを支配しているように思われる。6 a& k* n- G# z7 @# @7 w  W: O
  第一に気候である。现在の日本はカラフト国境から台湾(たいわん)まで连なる岛环の上にあって亜热帯から亜寒帯に近いあらゆる気候风土を包含している。しかしそれはごく近代のことであって、日清戦争(にっしんせんそう)以前の本来の日本人を生育して来た気候はだいたいにおいて温帯のそれであった。そうしていわゆる温帯の中での最も寒い地方から最も暖かい地方までのあらゆる段阶を细かく具备し包含している。こういうふうに、互いに相容(あいい)れうる范囲内でのあらゆる段阶に分化された诸相がこの狭小な国土の中に包括されているということはそれだけでもすでに意味の深いことである。たとえばあの厖大(ぼうだい)なアフリカ大陆のどの部分にこれだけの気候の多様な分化が认められるであろうかを想像してみるといいと思う。
/ k# F9 z9 ?* p  温帯の特徴は季节の年周期である。热帯ではわれわれの考えるような季节という概念のほとんど成立しない土地が多い。南洋では年じゅう夏の岛がある、インドなどの季节风交代による雨期乾期のごときものも温帯における春夏秋冬の循环とはかなりかけ离れたむしろ「规则正しい长期の天気変化」とでも名づけたいものである。しかし「天気」という言叶もやはり温帯だけで意味をもつ言叶である。いろいろと予测し难い変化をすればこそ「天気」であろう。寒帯でも同様である。そこでは「昼夜」はあるが季节も天気もない。% J9 b" D: f$ r8 K
  温帯における季节の交代、天気の変化は人间の知恵を养成する。周期的あるいは非周期的に复雑な変化の相貌(そうぼう)を现わす环境に适応するためには人间は不断の注意と多様なくふうを要求されるからである。, w9 [- ?" r0 {$ Z) D2 G
  そうした温帯の中でも日本はまた他の国と比べていろいろな特异性をもっている。そのおもな原因は日本が大陆の周縁であると同时にまた环海の岛屿(とうしょ)であるという事実に帰することができるようである。もっともこの点では英国诸岛はきわめて类似の位置にあるが、しかし大陆の西侧と东侧とでは大気ならびに海流の循环の影响でいろいろな相违のあることが気候学者によってとうに注意されている。どちらかと言えば日本のように大陆の东侧、大洋の西侧の国は気候的に不利な条件にある。このことは朝鲜(ちょうせん)満州(まんしゅう)をそれと同纬度の西欧诸国と比べてみればわかると思う。ただ日本はその国土と隣接大陆との间にちょっとした海を隔てているおかげでシベリアの奥にある大気活动中心の峻烈(しゅんれつ)な支配をいくらか缓和された形で受けているのである。1 u8 _7 t! |1 k0 g" U3 V$ G1 B
  比较的新しい地质时代まで日本が対马(つしま)のへんを通して朝鲜と陆続きになっていたことは象や犀(さい)の化石などからも证明されるようであるが、それと连関して、もしも対马朝鲜の海峡をふさいでしまって暖流が日本海に侵入するのを防いだら日本の気候に相当顕着な変化が起こるであろうということは多くの学者の认めるところである、この一事から考えても日本の気候は、日本のごとき位置、日本のごとき水陆分布によって始めて可能であること、従って日本の気候が地球上のあらゆるいわゆる温帯の中でも全く独自なものであることが了解できるであろうと思われる。
* @2 O' I4 S8 ^9 \- O' |* K! I- p  このような理由から、日本の気候には大陆的な要素と海洋的な要素が复雑に交错しており、また时间的にも、周期的季节的循环のほかに不规则で急激活発な交代が见られる。すなわち「天気」が多様でありその変化が频繁(ひんぱん)である。
2 V! W. Q* u3 w+ F3 O' w  雨のふり方だけでも実にいろいろさまざまの降り方があって、それを区别する名称がそれに応じて分化している点でも日本はおそらく世界じゅう随一ではないかと思う。试みに「春雨」「五月雨(さみだれ)」「しぐれ」の适切な訳语を外国语に求めるとしたら相応な困惑を経験するであろうと思われる。「花昙り」「かすみ」「稲妻」などでも、それと寸分违わぬ现象が日本以外のいずれの国に见られるかも疑问である。たとえばドイツの「ウェッターロイヒテン」は稲妻と物理的にはほとんど同じ现象であってもそれは决して稲田の闇(やみ)を走らない。あらゆる付帯的気象条件がちがい従って人间の感受性に対するその作用は全然别物ではないかと思われるのである。
; B/ T# E2 H/ T/ C5 }) T  これに限らず、人间と自然を引っくるめた有机体における自然と人间の交渉はやはり有机的であるから、たとえ科学的気象学的に同一と见られるものでも、それに随伴する他要素の复合いかんによって全く别种の意义をもつのは言うまでもないことである。そういう意味で私は、「春雨」も「秋风」も西洋にはないと言うのである、そうして、こういう语汇(ごい)自身の中に日本人の自然観の诸断片が浓密に圧缩された形で包蔵されていると考えるのである。
4 h, i" }; u9 F  日本における特异の気象现象中でも最も着しいものは台风であろう。これも日本の特殊な地理的位置に付帯した现象である。「野分(のわき)」「二百十日」こういう言叶も外国人にとっては空虚なただの言叶として响くだけであろう。- g/ }5 t) {! F0 L5 q
  気候の次に重要なものは土地の起伏水陆の交错による地形的地理的要素である。
5 n& B" s8 m4 N# A  {1 C  日本の岛环の成因についてはいろいろの学説がある。しかし日本の土地が言わば大陆の辺縁のもみ砕かれた破片であることには疑いないようである。このことは日本の地质构造、従ってそれに支配され影响された地形的构造の复雑多様なこと、错雑の规模の细かいことと密接に连関している。実际日本の地质図を开いてそのいろいろの色彩に染め分けられたモザイックを、多くの他の大陆的国土の同尺度のそれと见比べてみてもこの特徴は想像するに难くない。このような地质的多様性はそれを生じた地殻运动(ちかくうんどう)のためにも、また地质の相违による二次的原因からも、きわめて复雑な地形の分布、水陆の交错を生み出した、その上にこうした土地に固有な火山现象の频出(ひんしゅつ)がさらにいっそうその変化に特有な异彩を添えたようである。/ `! e1 S! B  H: A: o+ j# L
  复雑な地形はまた居住者の集落の分布やその相互间の交通网の発达に特别な影响を及ぼさないではおかないのである。山脉や河流の交错によって细かく区分された地形的単位ごとに小都市の萌芽(ほうが)が発达し、それが後日封建时代の割拠の基础を作ったであろう。このような地形は漂泊的な民族的习性には适せず、むしろ民族を土着させる倾向をもつと思われる。そうして土着した住民は、その地形的特徴から生ずるあらゆる风土的特徴に适応しながら次第に分化しつつ各自の地方的特性を涵养(かんよう)して来たであろう。それと同时に各自の住み着いた土地への根强い爱着の念を培养して来たものであろう。かの茫漠(ぼうばく)たるステッペンやパンパスを漂浪する民族との比较を思い浮かべるときにこの日本の地形的特徴の精神的意义がいっそう明了(めいりょう)に纳得されるであろうと思われる。3 O% F7 q* s$ K0 F  O4 d7 w; _* b
  この地质地形の复雑さの素因をなした过去の地质时代における地殻(ちかく)の活动は、现代においてもそのかすかな余响を伝えている。すなわち地震ならびに火山の现象である。
  c) k0 U- A- g, n2 n1 h& Z& F  わずかに地震计に感じるくらいの地震ならば日本のどこかに一つ二つ起こらない日はまれであり、顕着あるいはやや顕着と称する地震の一つ二つ起こらない月はない。破壊的で壊家を生じ死伤者を出すようなのでも三四年も待てばきっと帝国领土のどこかに突発するものと思って间违いはない。この现象はわが国建国以来おそらく现代とほぼ同様な频度(ひんど)をもって缲り返されて来たものであろう。日本书纪第十六巻に记録された、太子が鲔(しび)という男に与えた歌にも「ない」が现われており、またその二十九巻には天武(てんむ)天皇のみ代における土佐国(とさのくに)大地震とそれに伴なう土地陥没の记録がある。
, O! q5 B# D% L# h1 \- o  地震によって惹起(じゃっき)される津波もまたしばしば、おそらく人间の一代に一つか二つぐらいずつは、大八州国(おおやしまのくに)のどこかの浦べを袭って少なからざる人畜家财を荡尽(とうじん)したようである。
6 D# l9 Z- u) I  z3 q  动かぬもののたとえに引かれるわれわれの足もとの大地が时として大いに震え动く、そういう体験を持ち伝えて来た国民と、そうでない国民とが自然というものに対する観念においてかなりに大きな悬隔を示しても不思议はないわけであろう。このように恐ろしい地殻(ちかく)活动の现象はしかし过去において日本の复雑な景観の美を造り上げる原动力となった大规模の地変のかすかな余韵であることを考えると、われわれは现在の大地のおりおりの动揺を特别な目で见直すこともできはしないかと思われる。5 s6 p. [# A$ ]8 A' @/ V. \3 e6 b
  同じことは火山の爆発についても言われるであろう。そうして火山の存在が国民の精神生活に及ぼした影响も単に威圧的のものばかりではない。1 g" w. ]3 |- M- o' x8 A
  日本の山水美が火山に负うところが多いということは周知のことである。国立公园として推された风景のうちに火山に関系したもののはなはだ多いということもすでに多くの人の指摘したところである。火山はしばしば女神に见立てられる。実际美しい曲线美の変化を见せない火山はないようである。火山そのものの姿が美しいのみならず、それが常に山と山との间の盆地を求めて喷出するために四周の景観に复雑多様な特色を付与する効果をもっているのである。のみならずまた火山の喷出は植物界を胁かす土壌(どじょう)の老朽に対して回春の効果をもたらすものとも考えられるのである。. |( q: U2 p; P9 {- r
  このようにわれらの郷土日本においては脚下の大地は一方においては深き慈爱をもってわれわれを保育する「母なる土地」であると同时に、またしばしば刑罚の鞭(むち)をふるってわれわれのとかく游惰に流れやすい心を引き紧(し)める「厳父」としての役割をも勤めるのである。厳父の厳と慈母の慈との配合よろしきを得た国がらにのみ人间の最高文化が発达する见込みがあるであろう。
% G& y6 P% J, s6 j6 E+ `% O. R  地殻的构造の复雑なことはまた地殻の包蔵する鉱産物の多様と豊富を意味するが、同时にまたある特殊な鉱産物に注目するときはその産出额の物足りなさを感じさせることにもなるのである。石炭でも石油でも鉄でも出るには相応に出ても世界で着名なこれらのものの産地の産额に匹敌するものはないであろう。日本が锁国として自给自足に甘んじているうちはとにかく世界の强国として乗り出そうとする场合に、この事実が深刻な影响を国是の上に及ぼして来るのである。それはとにかくこのようにいろいろのものが少しずつ备わっているということがあらゆる点で日本の自然の特色をなしているとも言われなくはない。. B1 W$ t: H& W0 `
  地震の现象でも大小の地震が不断になしくずしに起こっている代わりにたとえば中部アジアなどで起こるような非常に大规模な地震はむしろまれであるように思われる。この事はやはり前记の鉱産に関する所説と本质的に连関をもっているのである。すなわち、日本の地殻构造(ちかくこうぞう)が细かいモザイックから成っており、他の世界の种々の部分を狭い面积内に圧缩したミニアチュアとでもいったような形态になっているためであろうと思われるのである。3 ^: n  K7 r$ t4 R& i
  地形の复雑なための二次的影响としては、距离から见ればいくらも离れていない各地方の间に微気候学的(ミクロクリマトロジカル)な差别の多様性が生じる。ちょっとした山つづきの里表では日照雨量従ってあらゆる気候要素にかなり着しい相违のあるということはだれも知るとおりである。その影响の最も目に见えるのはそうした地域の植物景観の相违である。たとえば信州(しんしゅう)へんでもある东西に走る渓流(けいりゅう)の南岸の斜面には北海道へんで见られるような阔叶树林(かつようじゅりん)がこんもり茂っているのに、対岸の日表の斜面には南国らしい针叶树交じりの粗林が见られることもある。2 \3 q; Y3 @- p. f7 L& d5 I2 z
  単に微気候学的差别のみならず、また地质の多様な変化による植物景観の多様性も日本の土地の相貌(そうぼう)を复雑にするのである。たとえば风化せる花岗岩(かこうがん)ばかりの山と、浸蚀(しんしょく)のまだ若い古生层の山とでは山の形态のちがう上にそれを饰る植物社会に着しい相违が目立つようである。火山のすそ野でも、土地が灰砂でおおわれているか、熔岩(ようがん)を露出しているかによってまた喷出年代の新旧によってもおのずからフロラの分化を见せているようである。# y" q5 l3 S, w' T( z. A9 B
  近ごろ中井(なかい)博士の「东亜植物」を见ていろいろ兴味を感じたことの中でも特におもしろいと思ったことは、日本各地の植物界に、东亜の北から南へかけてのいろいろな国土の植物がさまざまに入り込み入り乱れている状况である、これも日本という国の特殊な地理的位置によって説明され理解さるべき现象であろう。中にはまた简単には説明されそうもない不思议な现象もある。たとえば信州(しんしゅう)の山地にある若干の植物は満州(まんしゅう)朝鲜(ちょうせん)と共通であって、しかも本州の他のいずれの地にも见られないといったような事実があるそうである。それからまた、日本では梦にも见つかろうとは思われなかった珍奇な植物「ヤッコソウ」のようなものが近ごろになって発见されたというような事実もある。これらの事実は植物に関することであるが、しかしまた、日本国民を组成しているいろいろな人种的民族的要素の出所とその渡来の経路を考察せんとする人々にとってはこの植物界の事実が非常に意味の深い暗示の光を投げかけるものと言わなければならない。
# X, {4 R5 ~' T5 F) y+ D4 K  天然の植物の多様性と相対して日本の农作物の多様性もまた少なくも自分の目で见た西欧诸国などとは比较にならないような気がするのである。もっともこれは人间の培养するものであるから、国民の常食が肉食と菜食のどちらに偏しているかということにもより、また土地に対する人口密度にも支配されることであるが、しかしいずれにしても、作ろうと思えば大概のものは日本のどこかに作り得られるという事実の根底には、やはり気候风土の多様性という必须条件(ひっすじょうけん)が具备していなければならない道理であろう。& p  p+ e1 b$ \7 h' f
  农作物の多様性はまた日本のモザイック的景観をいろいろに色どりくまどっている。地形の复雑さは大农法を拒絶させ田畑の轮郭を曲线化し、その高低の水准を细かな段阶に刻んでいる。ソビエトロシアの映画监督が「日本」のフィルムを撮(と)って露都で公开したとき、猫(ねこ)の额のような稲田の小区画に割拠して働く农夫の仕事を见て観衆がふき出して笑ったという话である。それを気にして国辱と思っている人もあるようである。しかし「原大陆」の茫漠(ぼうばく)たる原野以外の地球の顔を见たことのないスラヴの民には「田ごとの月」の深甚(しんじん)な意义がわかろうはずはないのである。日本人をロシア人と同じ人间と考えようとする一部の思想家たちの非科学的な根本的错误の一つをここにも见ることができるであろう。0 D7 r: `; V+ |) k4 C, ~# t
  稲田桑畑芋畑の连なる景色を见て日本国じゅう锄锹(すきくわ)の入らない所はないかと思っていると、そこからいくらも离れない所には下草の茂る雑木林があり河畔の荒芜地(こうぶち)がある。汽车に乗ればやがて斧钺(ふえつ)のあとなき原始林も见られ、また野草の花の微风にそよぐ牧场も见られる。雪渓(せっけい)に高山植物を摘み、火口原の砂漠(さばく)に矮草(わいそう)の标本を収めることも可能である。
* O4 W: ^8 ^! a: H" e$ Y/ W* A, e; R  同种の植物の分化の着しいことも相当なものである。夏休みに信州(しんしゅう)の高原に来て试みに植物図监などと引き合わせながら素人流(しろうとりゅう)に草花の世界をのぞいて见ても、形态がほとんど同じであって、しかも少しずつ违った特徴をもった植物の大家族といったようなものが数々あり、しかも一つの家族から他の家族への连锁となり桥梁(きょうりょう)となるかと思われるようなものにも乏しくない。つつじの种类だけでもその分化の多様なことは日本が随一で中でも信州が着しいという话である。8 |; K; t2 P  Y4 Y$ W9 `
  话は植物の话である。しかしこのような植物の多様な分化を生ぜしめたその同じ気候风土の环境の多様性が日本人という人间の生理を通してその心理の上にまでも何かしら类似の多様性を分化させるような効果をもたないで済むものであろうか。これは少なくも慎重な吟味を加えた後でなければ軽率に否定し去ることのできない问题であろう。のみならず、その环境によって生まれた自然の多様性がさらにまた二次的影响として上记の一次的効果に参加することも忘れてはならないのである。" U, R$ j* x: z  Y* S
  植物界は动物界を支配する。不毛の地に最初の草の种が芽を出すと、それが昆虫(こんちゅう)を呼び、昆虫が鸟を呼び、その鸟の粪粒(ふんりゅう)が新しい植物の种子を输入する、そこにいろいろの獣类が移住を始めて次第に一つの「社会」が现出する。日本における植物界の多様性はまたその包蔵する动物界の豊富の可能性を指示するかと思われる。" U+ y) ~, A1 M4 ]5 @8 M
  试みに反対の极端の例をあげてみると、あの厖大(ぼうだい)な南极大陆の上にすむ「陆栖动物(りくせいどうぶつ)」の中で最大なるものは何か、という人困らせの疑问に対する正しい解答は「それは羽のない一种の蚊である」というのである。こんな国土もあることを考えると、われわれは蚊もいるが马も牛もおり、しかも虎(とら)や狮子(しし)のいない日本に生まれたことの幸福を充分に自覚してもいいのである。! N# u5 K: c7 [3 I
  今私は浅间山(あさまやま)のふもとの客舎で、この原稿を书きながらうぐいすやカッコウやホトトギスやいろいろのうたい鸟の声に亲しんでいる。きじらしい声も闻いた。クイナらしい叩音(こうおん)もしばしば半夜の梦に入った。これらの鸟の鸣き声は季节の象徴として昔から和歌や俳句にも咏ぜられている。また、日本はその地理的の位置から自然にいろいろな渡り鸟の通路になっているので、これもこの国の季节的景観の多様性に寄与するところがはなはだ多い。雁(がん)やつばめの去来は昔の农夫には一种の暦の役目をもつとめたものであろう。
* O* w, _) Z9 r' d4 \" y  野獣の种类はそれほど豊富ではないような気がする。これは日本が大陆と海で切り离されているせいではないかと思われる。地质时代に朝鲜(ちょうせん)と陆続きになっていたころに入り込んでいた象や犀(さい)などはたぶん気候の変化のために絶灭して今ではただ若干の化石を残している。
/ Q) B4 `2 }1 h  朝鲜にいる虎(とら)が気候的にはそんなに违わない日本にいないのはどういうわけであるか、おそらく日本の地が大陆と分离した後になってこの动物が朝鲜半岛に入り込んで来たのではないかと思われる。猫(ねこ)は平安朝に朝鲜から舶来したと伝えられている。北海道のひぐまも虎と同様で、东北日本の陆地の生まれたとき津軽海峡(つがるかいきょう)はおそらく陆でつながっていたのではないかと思われるが、それがその後の地変のために切断してそれが潮流のために広く深く掘りえぐられた、それから後にどこかからひぐまが虾夷地(えぞち)に入り込んで来たのではないかと想像される。四国にはきつねがいないということがはたして事実ならばこれも同様な地史的意义をもつかもしれない。それはとにかく日本が大陆にきわめて接近していながら、しかも若干の海峡で大陆と切り离されているという特殊の地理的条件のために日本のファウナがどういう影响を受けているかということは上记の雑多な事実からも了解されるであろう。
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 楼主| 发表于 2012-8-16 12:20:14 | 显示全部楼层

日本人の自然観(二)

  昔は鹿(しか)や猿(さる)がずいぶん多くて狩猟の获物を豊富に供给したらしいことは、たとえば古事记の雄略(ゆうりゃく)天皇のみ代からも伝わっている。しかし人口の増殖とともに获物が割合に乏しくなり、その事が农业の発达に反映したということも可能である。それが仏教の渡来ということもあいまってわが国におけるこれらのゲームの絶灭をかろうじて阻止することができたのかもしれない。
' E. o2 `# x, z+ G+ g+ ~  水産生物の种类と数量の豊富なことはおそらく世界の他のいかなる部分にもたいしてひけを取らないであろうと思われる。これは一つには日本の海岸线が长くて、しかも広い纬度の范囲にわたっているためもあるが、さらにまたいろいろな方向からいろいろな温度塩分ガス成分を运搬して沿岸を环流しながら相错雑する暖流寒流の赐物である。これらの海流はこのごとく海の幸(さち)をもたらすと同时にまたわが国の気候に第二次的影响を及ぼして陆の幸をも支配する因子となっているようである。
( {8 n2 Z+ E& Z( o& d5 k* V0 z3 y( B  先住民族は贝塚(かいづか)を残している。彼らの渔场はただ浜べ岸べに限られていたであろうが、船と渔具との発达は渔场を次第に冲のほうに押し広げ同时に渔获物の种类を豊富にした。今では発动机船に冷蔵库と无电装置を载せて陆岸から千海里近い冲までも海の幸の领域を拡张して行った。
4 `! q6 d/ b  D, i- v  鱼贝のみならずいろいろな海草が国民日常の食膳(しょくぜん)をにぎわす、これらは西洋人の梦想もしないようないろいろのビタミンを含有しているらしい。また海胆(うに)や塩辛(しおから)类の含有する回生の薬物についても科学はまだ何事をも知らないであろう。肝油その他の臓器制薬の効能が医者によって认められるより何百年も前から日本人は鲣(かつお)の肝を食い黒鲷(くろだい)の胆(きも)を饮んでいたのである。7 p& V& a& o4 R0 K8 i9 }# Z2 P- m
  これを要するに日本の自然界は気候学的;地形学的;生物学的その他あらゆる方面から见ても时间的ならびに空间的にきわめて多様多彩な分化のあらゆる段阶を具备し、そうした多彩の要素のスペクトラが、およそ考え得らるべき多种多様な结合をなしてわが邦土を色どっており、しかもその色彩は时々刻々に変化して自然の舞台を絶え间なく活动させているのである。
. d; i- [- ]1 @" _1 Z  このような自然の多様性と活动性とは、そうした环境の中に保育されて来た国民にいかなる影响を及ぼすであろうか、ということはあまり多言を费やさずとも明白なことであろう。复雑な环境の変化に适応せんとする不断の意识的ないし无意识的努力はその环境に対する観察の精微と敏捷(びんしょう)を招致し养成するわけである。同时にまた自然の惊异の奥行きと神秘の深さに対する感覚を助长する结果にもなるはずである。自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど人间は自然に対して従顺になり、自然に逆らう代わりに自然を师として学び、自然自身の太古以来の経験をわが物として自然の环境に适応するように务めるであろう。前にも述べたとおり大自然は慈母であると同时に厳父である。厳父の厳训に服することは慈母の慈爱に甘えるのと同等にわれわれの生活の安宁を保证するために必要なことである。
( A4 s9 p$ i$ |  人间の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科学の発达を促した。何ゆえに东洋の文化国日本にどうしてそれと同じような科学が同じ歩调で进歩しなかったかという问题はなかなか复雑な问题であるが、その差别の原因をなす多様な因子の中の少なくも一つとしては、上记のごとき日本の自然の特异性が関与しているのではないかと想像される。すなわち日本ではまず第一に自然の慈母の慈爱が深くてその慈爱に対する欲求が満たされやすいために住民は安んじてそのふところに抱かれることができる、という一方ではまた、厳父の厳罚のきびしさ恐ろしさが身にしみて、その禁制にそむき逆らうことの不利をよく心得ている。その结果として、自然の充分な恩恵を甘受すると同时に自然に対する反逆を断念し、自然に顺応するための経験的知识を集収し蓄积することをつとめて来た。この民族的な知恵もたしかに一种のワイスハイトであり学问である。しかし、分析的な科学とは类型を异にした学问である。7 q1 K% c6 }$ G( d. ]" o  J9 B
  たとえば、昔の日本人が集落を作り架构を施すにはまず地を相することを知っていた。西欧科学を输入した现代日本人は西洋と日本とで自然の环境に着しい相违のあることを无视し、従って伝来の相地の学を蔑视(べっし)して建てるべからざる所に人工を建设した。そうして克服し得たつもりの自然の厳父のふるった鞭(むち)のひと打ちで、その建设物が実にいくじもなく壊灭する、それを眼前に见ながら自己の错误を悟らないでいる、といったような场合が近ごろ频繁(ひんぱん)に起こるように思われる。昭和九年十年の风水害史だけでもこれを実证して余りがある。) f6 o$ Q+ V4 F& N; Q. s0 e, Q
  西欧诸国を歩いたときに自分の感じたことの一つは、これらの国で自然の慈母の慈爱が案外に欠乏していることであった。洪积期(こうせきき)の遗物と见られる泥炭地(でいたんち)や砂地や、さもなければはげた岩山の多いのに惊いたことであったが、また一方で自然の厳父の威厳の物足りなさも感ぜられた。地震も台风も知らない国がたくさんあった。自然を恐れることなしに自然を克服しようとする科学の発达には真に格好の地盘であろうと思われたのである。
% e6 p! i# _- t4 w  こうして発达した西欧科学の成果を、なんの骨折りもなくそっくり継承した日本人が、もしも日本の自然の特异性を深く认识し自覚した上でこの利器を适当に利用することを学び、そうしてたださえ豊富な天恵をいっそう有利に享有すると同时にわが国に特异な天変地异の灾祸を軽减し回避するように努力すれば、おそらく世界じゅうでわが国ほど都合よくできている国はまれであろうと思われるのである。しかるに现代の日本ではただ天恵の享楽にのみ梦中になって天灾の回避のほうを全然忘れているように见えるのはまことに惜しむべきことと思われる。
7 Z% J, A1 |5 x  以上きわめて概括的に日本の自然の特异性について考察したつもりである。それで次にかくのごとき自然にいだかれた日本人がその环境に応じていかなる生活様式をとって来たかということを考えてみたいと思う。
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