国技館物語; m, B; N: N% [' b6 c5 h$ Q a$ U) i7 W
旧両国国技館は、「国技」の名をひろめた、日本初の美しいドーム型。. ]$ h% ~; h$ k: [5 O
明治42年(1909)6月、両国の回向院境内に建てられた日本初のドーム型屋根をもつ大相撲常設館、これが最初の両国国技館である。それまで大相撲は屋外で興行され、晴天の10日間興行であったが、天候に左右され、雨の続く年は1ヵ月以上も延々と延期された。
' l" [" i( k, }$ C+ V: v6 `8 R 旧両国国技館は、ヨーロッパ風の美しい外観で東京の名所にもなったが、大正6年に失火で全焼。大正9年(1920)に再建、大正12年(1923)には関東大震災で再び炎上。東京大空襲による被災。再三再建されて占領軍による接収。「国技館」の名も剥奪され、メモリアルホールと呼ばれたこともある。昭和57年(1982)に解体された。6 ~4 m4 i1 j4 T" h7 F% k
テレビの本格的な大相撲中継は、蔵前国技館から始まった。
1 g7 L8 A( _ G" q7 _6 U4 \: e/ d 昭和29年(1954)9月に、和風様式の蔵前国技館が完成した。新しい大相撲の殿堂として、栃若時代、柏鵬時代、輪湖時代、千代の富士時代を見守ってきた蔵前国技館は、いわば大相撲の戦後史上に燦然と輝いている。, A4 A4 [6 u* w
昭和29年から昭和59年(1984)までの30年間は、蔵前の街は大相撲のメッカとしての役割を果たしていた。また、NHKによる大相撲テレビ実況中継が始まったのも、昭和28年(1953)夏場所からで、これによって大相撲人気は全国的なものへ拡大し、新たなファンを生み出すことになる。
# R& `* a: b0 T* p& M7 W, B- [ やがてこの蔵前国技館もその役割を終え、両国に新たに建設された新国技館へと引き継がれた。1 D6 Z, X; ?" H/ s* Y- p1 [" Z$ s
新両国国技館が、国技としての大相撲を新しい時代へと導く。, a+ A6 H b$ w8 \( _
昭和60年(1985)1月、新両国国技館が開館した。大相撲の殿堂・新両国国技館は、随所に最新のテクノロジーが組み込まれ、まさに新しい時代の先駆けとなった。来www.Examw.com, P* A/ o: O2 M4 Y
吊り屋根と土俵は自動昇降で格納可能、相撲以外のイベントホールとしても使用できる。また、災害時のために館内に食料備蓄倉庫をもち、雨水を浄化する装置、自家発電機も完備している。関東大震災級の大地震に襲われても耐える耐震構造である。広大な敷地内には、相撲博物館、相撲診療所、相撲教習所なども併設されている 。 |